[balloon_left img=”https://jiyuland.com/blog/wp-content/uploads/2023/09/2023-09-21_03-22-31.png” caption=”Tensui”]山田長政が異国の地シャムに生きた真実の姿に迫る物語。日本を離れた異郷の地で、使命と孤独の間で揺れ動く彼の心情が描かれています。感情を抑え、冷静さを貫き続けた彼の姿には、家族や故郷への思いが静かに垣間見えます。この物語を通じて、異文化の地で生き抜く覚悟とその裏に潜む孤独感が伝わるように感じました。[/balloon_left]
山田長政がシャム(現在のタイ)に足を踏み入れた当初、彼はその異国の風景と文化に圧倒されつつも、心の奥底で不思議な感情を抱いていた。異郷の地に溶け込み、異なる言葉や風習に対する興味を抱きながらも、彼の心はどこか冷たかった。それでも、彼はこの国での役割を全うするために、地元の女性と結婚し、多くの子供をもうけた。しかしその結婚生活は、一般的な愛に満ちた家庭とは異なっていた。
その夜、長政は自宅の広間に座り、静かにシャムの夜空を眺めていた。柔らかな月光が庭を照らし、その中でひっそりと育つ植物が風にそよいでいた。彼の妻、マナカンはその様子を見ながら、長政に近づいていった。
「あなた、今夜もまた月を見ているのね?」
マナカンが優しく声をかけた。彼女の言葉には、かすかな不安が滲んでいた。長政はその声に一瞬反応するも、すぐに目をそらし、また空を見上げた。
「ああ、そうだな。」
長政は短く返答した。彼の返事には冷静さと距離感が漂っていた。
「何か、悩んでいることがあるの?」
マナカンはさらに問いかけた。彼女は長政が遠くを見つめるたびに、彼が何かを抱えているのを感じていた。だが、彼はそれを決して口にしなかった。
「別に。悩むことなんてねえよ。」
長政は無感情な声で答えた。彼は感情を表に出すことを極力避けていた。自分の使命に集中するためには、感情に流されてはならないと固く信じていたのだ。
マナカンはしばらく沈黙した。彼の冷たさに傷つきながらも、それが彼の性分であることを理解していた。彼女は優しく長政の肩に手を置いた。
「私のこと、どう思っているの?」
彼女の声は微かに震えていた。彼女は長政の妻でありながら、彼の心の中に自分がどれだけ存在しているのか不安に思っていた。
「おめぇはええ嫁さんだ。」
長政はそう言ったが、その言葉には感情がこもっていなかった。彼の目は依然として遠く、心の中で彼の関心は、シャムという国の未来や自分の役割に向けられていた。
マナカンはそれ以上言葉を続けることができなかった。彼女は静かに身を引き、広間を後にした。彼女が去った後、長政は一人で深いため息をついた。
「この国に生きるためには、感情に流されるわけにはいかんだ…。」
彼は独り言のようにつぶやいた。シャムの地での成功を収めるためには、冷静でなければならない。彼が常に心がけていたのは、感情に左右されず、目標を達成することだった。それが彼の信念であり、家族や恋人に対しても同じ態度を取っていた。
—
ある日、長政は王宮からの帰り道、川沿いの街を歩いていた。彼の横には幼い息子が歩いていたが、その息子は彼に話しかけようとはしなかった。父親が何を考えているのか、子供には理解できなかったからだ。
「お父さん、どうしていつも黙っているの?」
息子が突然尋ねた。その純粋な問いに、長政は一瞬歩みを止め、息子を見つめた。
「黙っていたほうが、いろいろ考えやすいだ。」
長政はそう答え、再び歩き始めた。
「でも、お母さんは寂しそうだよ。」
息子の言葉が長政の胸に鋭く刺さった。彼はそれを感じないように振る舞おうとしたが、息子の純粋な目が彼の心に問いかけ続けていた。
「寂しいだとか、そんなもんは感情の揺らぎだ。感情に流されると、大事なもんを見失うだ。」
長政は冷たく言い放った。だが、その言葉が自分に向けられたものであることに、彼自身も気づいていた。
「でも、お父さんも時々寂しそうに見えるよ。」
息子の言葉は鋭かった。長政は答えることなく、ただ黙って歩き続けた。
—
その夜、長政は書斎にこもり、一人静かに考えていた。彼が築いてきたものは確かに大きな成果だった。だが、その裏に流れる孤独感は消えることがなかった。シャムでの成功、家族、仲間、すべてが手の中にあるはずなのに、心は常に何かを求めていた。
「本当に愛していたのは、この国そのものだったんだな…。」
長政は自分自身に語りかけた。彼は日本という故郷に対する思いを心の奥底にしまい込み、シャムでの役割に生きることを選んだ。それが彼にとって最も大切なことだったからだ。
ふと、彼は机の上に置かれた古びた巻物に目をやった。それは彼が日本を離れる際、母親から渡されたものだった。巻物には「故郷を忘れずに」という言葉が書かれていた。
「…故郷か。」
彼はその言葉を呟き、巻物をそっと手に取った。手触りはもう何度も触れられて柔らかくなっていたが、それを読むたびに、故郷への思いが蘇ってきた。
彼は再びシャムの夜空を見上げた。輝く星々は異国の地においても同じように輝いていたが、その中に日本の空を感じることはなかった。
「どれだけこの地で成功を収めても、あの空には戻れんだな…。」
彼は自嘲気味に笑い、静かに巻物を元に戻した。
—
翌朝、長政は再び王宮へと向かった。彼の表情はいつも通り冷静で、決意に満ちていた。家族や愛情、そして故郷への思いはすべて心の奥に押し込め、彼はシャムでの役割を果たすために動き出した。
しかし、その背中には常に「孤独」という影が付き纏っていた。それは決して彼の前に現れることはなかったが、常に彼の心の奥深くに潜んでいた。彼が感情に流されないように、常に冷静であることを選んだ結果、それは彼の一部となっていた。
長政は歩みを止めることなく、ただひたすらに前を見続けた。シャムの大地に足を踏みしめながらも、彼の心の中では、故郷の日本の風が静かに吹いていた。