「シンギュラリティ・チャンティング」へようこそ。これは、メタバース上で行われる唱題行のワールドです。ここでは、自我や妄想にとらわれず、心のフィルターをクリアにする体験ができます。極寒の佐渡ヶ島で厳しい生活を送った日蓮の精神を感じながら、一つの心、異体同心に近づく旅を始めましょう。自分自身と他者との繋がりを深く感じることで、より平和な世界に一歩近づくことができます。
日蓮大聖人の御書から励ましの言葉:
Tensui
日蓮大聖人の御書から「報恩抄」から励ましの言葉
御文
「若し法華経の行者、法華経の行者たるを疑うことあらば、是れは仏法を信ぜざるなり、是れは三世諸仏の御心に背くなり、是れは法華経の行者たるを疑うなり。法華経の行者たるを疑う者は、是れは末法の懈怠者なり、是れは末法の不信者なり、是れは末法の邪見者なり。法華経の行者たるを疑う者は、是れは末法の悪知識なり、是れは末法の悪友なり、是れは末法の悪弟子なり。」
(報恩抄)
意味と解説
この御文は、法華経の行者として信心を貫き通すことの大切さを説いています。
- 「若し法華経の行者、法華経の行者たるを疑うことあらば」: もし法華経の行者である自分を疑うようなことがあれば
- 「是れは仏法を信ぜざるなり」: それは仏法そのものを信じていないことと同じです。
- 「是れは三世諸仏の御心に背くなり」: それは過去・現在・未来の三世の諸仏の御心に背くことです。
- 「是れは法華経の行者たるを疑うなり」: それは法華経の行者であることを疑っているのです。
- 「法華経の行者たるを疑う者は、是れは末法の懈怠者なり、是れは末法の不信者なり、是れは末法の邪見者なり」: 法華経の行者であることを疑う者は、末法の怠惰な人、信心のない人、邪見を持つ人です。
- 「法華経の行者たるを疑う者は、是れは末法の悪知識なり、是れは末法の悪友なり、是れは末法の悪弟子なり」: 法華経の行者であることを疑う者は、末法の悪しき知識人、悪しき友、悪しき弟子です。
励ましの言葉
この御文は、法華経の行者として信心を貫き通すことは容易ではないことを認めた上で、それでもなお、疑いを捨てずに信じることの大切さを説いています。
末法の時代は、苦難や試練が多い時代です。しかし、法華経の行者として信心を貫き通すことで、必ず仏の境涯を成仏することができます。
現代社会を生きる私たちにも、この御文は大きな励みとなります。
法華経の行者として信心を貫き通すことは、決して簡単なことではありません。しかし、日蓮大聖人の御言葉を励みに、私たちも日々精進していきましょう。